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リオデジャネイロの街角で、人種差別について考える

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リオデジャネイロの街角で、人種差別について考える

 

 

 

リオデジャネイロには夜着いた。タクシーで、本田圭佑が今月から加入するサッカーチームがあるボゴタフォの、海岸沿いのホテルにチェックインして、とりあえずご飯を食べに屋上のバーに上がると、そこにはボゴタフォからコパカバーナ、イパネマと続く、まばゆいばかりのリオの海岸線が光り輝いていたのだった。

人生で初めてブラジルの地に降り立った感動をかみしめながら、大雨の中ハンバーガーにかぶりつく。やけにうまい。

 

今回南米では、ブラジル、ペルー、ボリビア、チリを回る。南米に来るのは20年前の世界一周旅行以来だが、その時は4か月くらいでチリ、アルゼンチン、エクアドル、ベネゼエラを訪れた。だから今回はチリ以外は初めての訪問。その中でもブラジルだけは文化が違うというか、強烈そう、というか、とにかく最も楽しみにしていた国だった。

 

そういえば、僕がブラジルを去った日に本田圭佑はブラジル入りした。日本の記事を見ていると、リオデジャネイロ中が大フィーバー、という感じで書かれていたが、現地では誰も騒いでおらず(というか多分ボゴタフォのファン以外誰も知らない)、ヘイ本田!などとは誰からも言われなかった(20年前は世界中で、ヘイ中田、と言われた)。

 

 

 

 

リオの街を歩いたり、カフェでコーヒーを飲みながら道行く人々を眺めていたりすると、なんだかごく自然に「この国の人ってなんかすっごいフラットな感じだなー」という感想が思い浮かんできた。どこがどういう、ということでもないんだけど、白人から黒人、アジア系まで様々な人たちが雑多に混じっている中で、そして裕福そうな人もごく貧しい人も混じっている中で、なんというか、肌感覚として引っかかってくるものがない、というか、人と人とのつながりがなめらか、というか。世界のどの場所でも、今まで一度も感じたことのないちょっと不思議な感覚にとらわれてしまった。

 

実際ブラジルはまさに「人種のるつぼ」であり、また、昔から「人種差別が存在しない」国、と言われている。

ヨーロッパ各国から主に家族単位で移民がやってきてできた北米社会に比べ、征服者であるポルトガル人は

  • 男ばっかりだった
  • 多人種と積極的に交わる傾向が強かった

らしく、その結果混血がどんどん進んだ。

 

 

白人系、黒人系、白黒黄色混血系、と一応の区別はあるが、しかし例えば白人と言われる人でもほとんどすべての人が、何代かさかのぼれば黒人の血が入っていたりするようだ。

実際街を見ても、「明らかに白人だ」と思われる人は、(少なくともリオやサンパウロでは)ほとんど見かけなかった。

 

人種差別をなくす唯一の方法は全員が混血してしまうこと、という話があるが、ブラジルはまさにそれを地で行く国であり、その結果、極東の国からぼっと来た旅行者にも自然とそれが感じられてしまうような、フラットな社会が出来上がってしまった。

 

 

これってすごくない?

 

 

 

日本人、東洋人として、僕らは常に自然に本質的に、他の人種に対して、劣等感や優越感を感じている。旅行していてもそれは同じだ(というか際立つ)。

僕自身も、若いころからいろんな国を旅行して、また長く外資系企業で働き、ずーと、そういう意識、白人に対する劣等感、と付き合ってきた。いや黒人に対してだってそうだし、何だったらアジアの人に対してもそうだ。

 

ここではこのブラジルでは、俺は何の障壁もなく自然に受け入れられているのを感じることができる。

確かにニューヨークやロンドンなどの大都会でも、障壁は感じないかもしれない。でもそれは個人主義に根差した感覚で、しかしここではそうではない。

シンプルに、誰もそんなの気にしちゃいないのだ。

 

 

 

 

 

ああ、ここってホントにパラダイス?

 

と思いながら興奮しながらネットでいろいろ当たってみると、そこには徐々に俺の興奮を冷ましていく様々な記述が。

いわく

「ブラジルは長らく人種差別がない国、とされていたが、近年は明らかな人種差別があると認識されている」

「最近の調査では、ブラジル人の98%が自分には差別意識がない、と回答している一方、98%が、自分は差別意識のある人を知っている、と回答している」(数字は不確か)

など。

 

確かに、「ブラジルには人種差別ではなく経済格差による差別がある」と長く言われている通り、地域による経済格差が大きいのだが、それには、「貧しい北部の黒人(系)」と、「豊かな南部の白人(系)アジア(系)」という事実が包括されているし、リオやサンパウロの路上で寝ている人たちの多くの割合が、(少なくとも見た目)純粋な黒人だったりする。

 

僕自身は、長く自分のことを「なぜだかわからないが、多分父親の影響や、リベラルな教育(とはだしのゲン)が影響して差別意識がまれなくらい希薄な人物」だと認識してきたが、50年以上も生きてきた今では、もちろんそれが偽善であることを理解している。人を差別したりしない人間は、人に対して劣等感も感じるわけはない。

 

 

確かにここブラジルにも差別はあるのだろう。いや、あるに決まってるだろう。現実はきれいごとじゃないんだから。

 

何だって「程度の問題」なのだ。人でも国でも内部にはいろいろ葛藤があって、そしてそこから表に出てくるもの、それが人や国の品格なのだと思う。

 

 

ブラジルの人はほんと明るい。その笑顔には排他性も差別性もぜんぜん感じられない。「ああ俺は受け入れられている」と思うことができる。これって旅行する最大の喜びの一つではないだろうか。

 

 

 

 

 

リオデジャネイロからサンパウロにつくと、僕の荷物は(なぜか)次の目的地であるリマ行きに分別されていて、出てこなかった。

空港中走り回ってようやく荷物の所在を確かめたが、「手続き的な問題」と「その時降っていた大雨」のせいで引き渡しは明日になるという。「間違いなく明日朝用意しておくように。間違ってもリマに送ってしまわないように」何度も何度も念を押して、次の日空港に行ったら、僕の荷物はリマに送られていた。

 

みんな親身に対応してくれるし、論理的に話も通じる。しかし決定的絶望的に「責任感」がない。「自分の手の届く範囲」のことをやればそれでOK。結果はどうなったかは自分には関係ない。白人社会全体の傾向ではあるが、このブラジルではそれが国民性にまで昇華されているかの如く。

こいつらほんとに!

 

その間の対応すべて笑顔。満面の笑顔。こちらも(しょうがなく)笑顔。

 

ブラジル最高(2020年2月9日)。

 

 

 

 

author:oneman-band, category:旅行, 23:11
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